今の時代、売春に対して世間の目は厳しい。
今でも花街、いわゆる性風俗店の集まるエリアは全国各所にあるが、日陰の存在であることは一般的な認識だろう。
今の時代、会社で堂々と「昨日は風俗街で楽しんじゃって」なんて言おうものなら、職場の女性社員からの冷たい視線にさらされながら当面を過ごすことになる。

しかし、「遊廓」という言葉に変わると、途端にどこか雅で格式や伝統を滲ませた言葉に感じる人は少なくないだろう。
実際、現代におけるサブカルチャーの世界でも、度々「遊廓」は題材として取り上げられる。
その中でも、「吉原遊廓」は際立って舞台に選ばれることが多く、「吉原」と書いただけで「遊廓」を連想するような表現の作品すらもある。
それだけ「吉原=遊廓」が浸透しているとも言える。
吉原遊廓が絶頂期だった時代も、恐らくそうであったのだろうと想像する。

そもそも遊廓とは遊女店を集めた区画であり、現代で言うところの風俗街だ。
厳密には気軽に遊びまわる風俗というよりは、もっと本気なものだったらしいが、ここでは性的なサービス提供の場として、わかりやすく風俗街とする。
遊廓の歴史は、古くは安土桃山時代にまでさかのぼる。
主要都市には大きな遊廓があり、また今では考えづらいが、全国数十か所に公的に認められた遊廓があった。
当時は代表的な娯楽の場であり、また文化の発信地でもあったのだ。
吉原遊廓もその一つだ。
三大遊廓に数えられる一つで、江戸幕府にも公認されていた。
元を辿れば今の静岡にあった二丁町遊廓の一部が移されたのが始まりだが、意外にも歴史に幕を下ろしたのは戦後であり、1957年に売春防止法が施行された後のことだ。
一般的なイメージよりも思いのほか最近なのである。
そして幕引き後にはソープランドなど、現代の性風俗店にその姿を変えていった店も当然あった。

そう考えると今の時代、遊廓を題材にした作品などアンダーグラウンドな文化に留まってもおかしくないものだ。
ところが、それが意外と一般大衆向けの作品などで、多く扱われている題材なのである。
恐らくこれが、現代風の風俗街での話だったりすると、キャラクターへの感情移入だったりは得にくい部分はあるだろう。
それは今の時代に風俗業を営む人々を蔑んでいるということではなく、現代においてほとんどの人にとっては、性風俗店という存在自体が「あまり馴染みのない存在」であるからだ。

しかし「遊廓」は、歴史上の実体は風俗街であるにも関わらず、あくまで「ファンタジーの世界」として、人々に馴染みのある題材となっている。
これは面白い現象ではないだろうか。
恐らく遊廓が実在した当時も、一般大衆に広く受け入れられていた、むしろ文化の発信地だったことを考えると、現代と同じく「馴染みのある存在」であったのだろうことは容易に想像できる。
つまり、今で言うところのインフルエンサーなわけだ。

サブカルチャーの世界で、遊廓がある種の「ファンタジーの世界」として現代でも受け入れられているのには、いくつかの要素が理由として考えられる。

まず、当時の遊廓は塀や堀で囲まれた閉じられた世界、つまり別世界であったことだ。
この橋を渡ると、この門をくぐると、そこは別世界。
そしてその中では、外界とはまったく異なる文化が育まれている。
そんな外界と線引きをされた空間であったことが、人々の想像を掻き立てるのではないだろうか。

そして、ランクの高い遊女が行う花魁道中にも、ファンタジーの要素が感じられる。
現代で言うところの、「普通の女の子がトップアイドルに上り詰めて、大きなホールでコンサートをする」というストーリーと通ずるような、シンデレラストーリーを感じるためだろうか。
余談だが、当時トップに上りつめられる遊女というのは、相当な教養があったらしい。
現代でも、風俗ではないが水商売でトップに上り詰め、一般大衆からの認知を得る人々は教養が感じられる人が多い。
そう考えると、時代は変わっても、その実はそう変わっていないのかもしれない。

一方で、下位の遊女たちが酷い生活だったという話も、こういった題材にはついてまわる。
成功すれば名声も地位も手に入り、そうでなければ地を這うような生活になることもある。
そんなギャンブル要素や、愛憎交わるようなイメージも相まって、「遊廓」という題材はファンタジーに昇華されていったのではないだろうか。

もちろん現代のサブカルチャーで扱われる遊廓の姿は、歴史的見地でいうと恐らく突っ込みどころ満載なのであろう。
吉原遊廓という実在した遊廓の名前を使われるからこそ、「実際はそうではない」と言いたくなる人も中にはいるかもしれない。
だが現代のサブカルチャーで吉原遊廓が扱われる時、それはあくまでファンタジーとして一般大衆は認知しているのだ。
歴史ファンタジーという分野は、全てが全てファンタジーではなく、現実の要素をほんの少しずつ取り入れてあることによって、想像と現実が繋がり、そしてそこが人々の心を掴む。
サブカルチャーにおける「遊廓」も、歴史上の「風俗街」とは異なり、あくまでファンタジーとして確立している世界観の一つとなっているのだ。